パリ観光の時の中心地となるオペラ座から、メトロ4号線の終着、
クリニャンクールの蚤の市で見付けた1930年代~’70年代のファッション雑誌です。
すごく高かったのですが、向学の為にと奮発しました(笑)。
こんなの日本だと、中々手に入らないですから、、


アダムはフランスの一般向け男性ファッション誌。
その他にも、テーラー等技術者向けの専門誌も見つけました。
それら書中で、クラシコのディーテールも普通に登場しているのですが、
それは取り立てて言うべき事でもなくて、クラシックのベースは不変って事なんですよね。

また後日のダイアリーでもお伝えしますが、
年代毎にそれぞれ特徴がありますから、見ていて非常に面白いです。
60年代に見られた巾の狭い襟が、70年代には広いラペルへと変化してゆきます。
それって、最近のモードの傾向に非常に似ていますね。


昔から 「ファッションは繰り返す」と言われますが、それがまさに見て取れます。
ただ最近では、そのサイクルがスピードアップしていますから、
現在と過去の流行が混在する傾向にあり、最後は自分の好みという事になると思います。

いつもの繰り返しになりますが、
流行を意識しつつも、流されずに自分のスタイルを確立してゆく。
確立できたなって思えるのが80歳を過ぎてからでも、、いいんじゃないでしょうか!(笑)


『クリニャンクールの蚤の市』 は、1日ブラついても飽きないワンダーランドでした。



ミラノ中央駅から国際列車で1時間強で
スイスのルガーノという の周りに発展した小さな町に着きます。
駅構内からケーブルカーが出ており5分で市街地に出ます。
スイスらしくチーズを売る屋台があったり、スイスの山々が見えたりと
プチスイス気分♪
また市街地には時計店が並び、中でもアンティークを専門にするお店
興味のある人は必見と、デイトリップにはお勧めの町です。



その町でスイス製 「riri」 のファスナを仕入れてきました。
本来の「riri」の特徴は独特のメタリックな輝きがあり、
そのシャリシャリとした使い心地なのですが、
今回の物はスーツに相応しいタイプで
生地に合わせてカラーリングされています。
裏は独特のメタリッキーな輝きを放っています。
もちろん「riri」特有のスライダーの引き手を下げると
ロックがかかって下がらない機能もあります。
といっても機能的には日本が世界に誇るYKKが最高だと思いますが、
そんなモンは気分気分♪
価格的にもYKKの5倍くらいはするけど、
YKKには無い味がありますよね。



あと今回のピッティでも目立った ジャケットスタイルですが、
着ている内に 肘が薄くなってきたジャケットには、
ツイードやコーデュロイなんかだとエルボーパッチ(肘当て)を付けて、
更にガンガン着ましょう♪
日本では 棄ててしまいそうですが、洋服を大切にするヨーロッパでは
当然のように普通に店頭に並んでいます。
マッセアトゥーラでも 薄くなってきた方にはコレで修理させて頂きます♪


マリネッラのタイは、見た目は普通のタイですが、世界中にVIPな顧客を持ちます。
素材は、イタリアと云えば真っ先に思い浮かべられるコモ産ではなく、
主に、英国のデイヴィッド・エバンスから供給を受けています。

それを、ナポリのサンタルチア港のすぐそばの自社工房で縫い上げ、
すぐ隣にある間口3mほどの店舗で販売されます。(小さくても重厚な店作りですが、、)

工房には、目が細かく打ち込みのしっかりした
デイヴィッド・エバンスの生地が山のように積み上げられています。

そこで出来上がったネクタイは、何と言っても生地と芯地のバランスが良く、
持つ者だけが味わえる、最高の締め心地を提供してくれます。
柄に関しても、1つの柄からは4本しか取れないそうで、
「同じタイを締めた人を目にする事はない。」
と言われている事も魅力の1つです。

見た目は普通のタイですが、絞めると、とても上質な表情になります。
そんな、「自分自身にしか分からない〝良質なもの〟を身に付ける。」という哲学。
マリネッラのタイは、そんな人たちの思いを叶えるネクタイ。

ナポレターノは、マリネッラのネクタイだけは、
たとえ擦り切れても、棄てないで大切に持っておくと聞きます。

イタリアのオヤジが格好いいのは
彼らが〝老いる〟のではなく〝成熟〟するからだと思います。
毎年流行を追う事も、1つのスタイルですが、自分のスタイル(=美意識)を、
何年もかかって積み重ねる事の方が僕は好きです。
その上で流行も分かっている、なんて最高。
流行を嫌う事も、流行を分かった人が言うと格好いいですが、
それだけでは偏っている、逃げじゃないかな?と、僕は思うのですが、、

イタリアに行くと、そんなオヤジにこそ、、もっと言うと、
老人にこそ、美しさや色っぽさを感じる理由はそんな所にあるのではないでしょうか。

マリネッラのネクタイ、
20本ちょっとだけ厳選して仕入れましたので、ご興味のある方は是非。
ナポリに行くと、少しずつですが買い付けてきますね
出来ることなら、毎年買い続けられれば、、



帰ってきました!長らくごめんなさい。
イタリア気分を盛り上げようと 往きの飛行機からグラッパを飲みまくり、
気合を入れて行ってきました(笑)。



早速ですが毎回思うことがあります。
オッサンがお洒落なんです。若い人より断然お洒落!
今回もそんなオッサンにいっぱい出会いました。
日本でも巷では「もてるオヤジ」で盛り上がってますよね。
日本のオッサンもお洒落になりましょう♪
お金をかけなくてもお洒落は意識から、ですから。



ナポリの キアイア通り外れで出会ったオッサン。
靴とカシミアのコートの色、それに ネクタイとマフラー、
その色使いは絶妙でした。
写真を撮らせてもらった後、セネガルから来たという 隣の若い男性が
ジェンベを叩いてくれ、オッサン踊り出して皆で盛り上がりました。
ご機嫌ナポレターノでした♪



フィレンツエのカフェで見かけたオッサン。
赤の使い方が巧いですね。
時計のダイアル(文字盤)まで赤です。
「オジさんお洒落やね~」と云うと、喜んで撮らせてくれました。
センスは 多少コッテリ系ですが、マフラーの巻き方まで
「おっしゃれ~」です。
このオッサンのハッキリした分かり易いセンスは結構僕の好みです。



ナポリで「綺麗なビンテージやなぁ」と勝手に写真を撮ってたら
「俺のバイクに何か?」と云って寄ってきたオッサン。
ビッカビカのベスパRally。
「俺も前に乗ってたんだよ」と話すと わざわざ乗ってくれたオッサン。
やっぱり目だって何ボなんでしょう、この国は。
それにしてもこのオッサン、ベルスタッフのジャケットに、
いい感じのジーンズ履いていい味出してましたね。
サングラスはペルソールでした。

当分の間、ダイアリーでは今回仕入れてきたネタを続けさせて頂きますね。


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ヘンリープールを知っていますか?

背広の語源とも言われている、
英国「サヴィル・ロー」(背広)に店を構える歴史的なテーラーです。

創業は1802年。
顧客には、日本では昭和天皇を初め、白州次郎、吉田茂、伊藤博文らが。
そして海外ではヴィクトリア女王を初め、
ウィンストン・チャーチル、ナポレオンⅢ世、J.P.モルガンらが顧客に名を連ねます。
ただしヘンリープールでは、
原則として既存の顧客(生存中)は名前を公表されていません。

そんなヘンリープールの次期社長、サイモン氏との日本市場向け新ライン打合せの後、
工房内を、カッターのデイヴィット氏の丁寧な説明で案内してもらいました。

彼は、元ティモシーエベレストのカッターとして働いていたそうです。
そして2年前に、より確かな技術を学ぶためにヘンリープールに移ってきたそうです。
腕には1970年製のオメガスピードマスターが、こだわりです。

店内は、入ってすぐに応接スペースがあります。
ここで各担当カッターが採寸し、どんなスーツを作るのかが話し合われます。

多くのバンチ見本から、お気に入りの生地を選んだ顧客は、
その後、裏地とボタンの色くらいは選ぶが、基本的にはお任せが多いとか。

その後、店舗の奥にある裁断場で採寸値に合わせて型紙が引かれ、生地が裁断されます。

最後に、生地に合った「肩・胸馬斯」「垂れ綿」「裏地」「釦」「縫い糸」などがセレクトされ、
裁断後の生地と共に、ひとまとめにされます。
ヘンリープールでは基本的には、ここまでがカッターの仕事です。

パンツは建物の地下で作業するパンツ専門の職人に回され、
ジャケットは、2~5階のジャケット専門の職人が縫い上げていきます。

ヘンリープールでは1人の職人が1着を〝丸縫い〟します。
毎回バラツキが出ないように、1人の顧客には、
最初に担当したカッターや職人が、後々も担当する事になります。
ただ生地によっては、職人さんの得手不得手があるので、
例外として、得意な生地毎にバランスよく割り振る場合もあるそうです。

ヘンリープールの工場内から、ミシンの音は聞こえません。
職人さんが黙々と針を走らせています。
少しでも明かりを採ろうと、みんな机の上に座って作業をしています。
この人達の職人技が、本場英国のビスポークスーツを支えているのかと思うと、
「いつまでも元気で頑張って下さいね」という思いになります。

日本でもいい職人さんは沢山いらっしゃるのに、
仕事がなく(売れず)、その技術を受け継ぐ若者もほとんど居ず、
洋服だけでなく、モノづくりの、どの業界も衰退の一途をたどるばかりです。
消費経済の流れに負けて、
伝統や文化が失われて行く世の中を見守っているしかないのでしょうか。

大量生産・大量消費は経済成長の為には必要な事かもしれませんが、
必要以上に進んでいると思えてならない今の日本を見て、
英国人の古きを守り、大切にするスタイルは真似るべき点は多いと思います。
せっかく物真似の得意な日本人なんだから、
こんな部分も見習って欲しいですね。

今のままだと、日本文化を完全に見失ってしまう時期はそう遠くない気がします。





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アラブの国(その1)の続きです。
アラブと聞くと、テロをはじめ、何か怪しげなイメージを持つ人が多いと思います。
でも実際行ってみた感想は、、かなり穴場です。

アジア旅行で痛い目に遇った人、
ヨーロッパで人との触れ合いに寂しさを感じた人、、
アラブを旅行すると、必ず満足できるんじゃないでしょうか!(笑)
ただアラブ人は、ちょっと親切が度を越えて、お節介過ぎる部分はあります。
そりゃ、中には悪い人もいるかもしれませんが、悪い人に出会ったことがありません。

道を歩いていると声がかかります。もちろんアラビア語。
訳も分からずに近寄って行くと、「お茶を飲んでけ!」と言う。(言ってると思う)

ちょっと道を聞こうものなら、質問責めに遭います。
「どこから来た?」「シリアはどうだ?」「宗教は何だ?」「結婚はしてるのか?」「子供は何人だ?」
「車は持っているのか?」「仕事は何だ?」「俺の家に遊びに来い!!」
1時間くらい、あっという間に経ってしまいます。

アラブ人の時間の感覚に合わせてると、
あっちこっちで話してばかりになって、前に進めません。
予定の半分どころか、コミュニケーションだけで終わってしまいそう。
でも僕は、そんな人懐っこいアラブ人の親切を無視?して、かなり歩き回りました。

パルミラ遺跡では、日没のアラブ城に登り、夜はベドウィンのテントを訪問し、
そこからクラック デ シュバリエ遺跡ハマアパメア遺跡を通って、
ダマスカスに次ぐシリア第二の都市、アレッポに向かった。
更にそこから、ローカルバスを乗り継いで、
地中海沿いの町ラタキアサラディーン城タルトゥースと回ってダマスカスに入り、
そのまま南下して国境を車で越え、ヨルダンを目指した旅の結末は。。

ヨルダン観光は実現せず、レストランでの食事と、アンマンの夜景だけでした。

ん?どうしてか??
当初、映画「インディージョーンズ」で有名なペトラ遺跡とか、
アラビアのロレンスで有名な、アカバで紅海ダイビングをしようと考えていたのですが、
シリア人の優しさに邪魔?されてる間に、時間がどんどん流れていきました。
シリアでは、本来ゆっくり流れてるハズの時間が、
こういう時に限って早いんですよね~。

いいんです、、
シリア時間に身を任せた旅、
ダマスカスからアンマンまでの相乗りタクシーでは、
シリアの日本大使館の人(シリア人)から見た、日本人の良さや面白い部分、
イラクのおばあちゃんからは、イラクの生の生活が聞けたり、、
それはそれは充実した旅でしたから。





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ダマスカス空港で一夜を過ごした僕は、
暗い間に空港を出発し、砂漠を突っ切るいっぽん道を古代遺跡パルミラへと向かった。
さぁ、これから中東の国アラブなる未知の国を旅するのだ。

パルミラは、ヨーロッパ・アジア・アフリカの3大陸を結ぶ要衝にあり、
古来交易の場(キャラバンサライ)として栄え、
当時は、無敵のローマ帝国を敵に回す程の権勢を誇った中東4大遺跡の1つである。

この地を巡り、様々な民族が侵略を繰り返したせいか、
パルミラばかりか、シリア全体が世界でも群を抜く、見事で広大な遺跡の宝庫となっている。

町中いたるところで、高らかに響くアザーン(祈りの呼び掛け)の声を聞きながら、
その残照の中で佇んでいると、煙草の煙の向こう側に古代人が現れる。
それはまさに、、アラビアンナイトの世界である。
僕に知識があれば、空想はとめどもなく、もっとリアルに広がるんだろうけど。

そうした時間を過ごしていると、
日本で、時間と隣り合わせの生活をしている自分に疲れを感じてしまう。
この国にいると、遊牧生活を営んできた民族(ベドウィン)の国だからなのか、
なんだか、のんびりした気分になってくる。

人間らしい暮らしって何?
物が豊かなこと?

ここシリアには、今なお人間らしい暮らしが存在している気がする。
そして、豊かな心のゆとりを感じる。
それこそ、太古の昔から人間が営み続けてきた生活そのものの姿だと思う。
「日本も昔はこうだったんだろうな~」そう思うと、なんだか余計に寂しくなってくる。

アラブ人と接していると、たまには「しつこい!」と感じる。
そして「うるさい!」と感じることもある。

でも人間らしさを感じるのは何故?

アラブの政治体制は王政・軍政・社会主義共和政と様々なのに、
生活様式は欧米に比べて均質であると聞く。
これはアラブ人は同じ信仰と価値感を共有しているからだとも言われているそうだ。
アラブ社会は保守的であり、和を重んじる民族である、という事だろう。

また欧米人は、客観的に物事を判断できるのが大人だ、という考え方をする。
逆にアラブ人は、主観的で感情的な奴が人間だ、という考えである。
だからアラブ人からすると、「欧米人は何を考えているのか分らない!」となるんだろう。

とすると、、僕はアラブに生まれたら大成するタイプの人間だ。(笑)
「神よ!来世はアラブの国に生を与えたまえ!!」 けっこう本気だったり。(爆)

インシャアッラー
神の思し召すままに


アラブ・・・西アジア~アフリカ大陸の北部一帯を覆う広大な地域。
      アラブ20カ国とパレスチナを含めると、何と21カ国にも及んでしまう。
      ちなみにイランはイスラムの国だが、アラブではない。
      一方、イラクはアラブの国で、アラブ連盟の加盟国でもある。




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テヘランの空港に降り立つと、空の青さと乾燥した空気に胸がときめく。
ブルーのモスクに思わず目が止まる。
あれもこれも、東南アジアやヨーロッパでも、見ることのできなかった世界が迫ってくる。

観光旅行で、テレビや写真よりも印象的に見える景色はそうはないだろう。
写真やガイドブックと全然違うといって、がっくりきた海外旅行の経験は誰でもあると思う。

そんな期待を裏切らないのがイランだ。
それどころか、日本にはイランの良さが伝わってない腹立たしささえ感じる。

しかし、イランというと
「テロリストの危険な国」とか「イスラム原理主義の国」というイメージを持たれている。

というのも、かつて中近東で最も親米的だったイランの政治体制が、
イスラム革命によって反米色に変わった事に始まる。

この1979年に始まったイスラム革命に猛反発したアメリカは、イランへの経済封鎖に出た。
イランが「テロの国」「イスラム原理主義の国」というイメージを世界に植え付けたのである。
未だに、そのイメージは拭い去れていない事実は残念である。

ところがイランに行ってみれば、、、
そんなイメージを払拭してしまうほど明るく、開放的で活気に満ちた国なのだ。

イランの印象を、いくつか箇条書きにしてみると

1)街はブルーだ
イスラミック建築であるモスク等、ブルーがとても綺麗。

2)水がおいしい
砂漠の国だが、アラビアのような「砂の国」とはちょっとイメージが違う。
イランの山脈には地中海・黒海・カスピ海の上昇気流がぶつかり冬には雪が降る。
この雪解け水が、地下水となり河川となって、砂漠にある都市を潤しているそうだ。

3)ペルシャ絨毯
作っているところを見たら「ハンドメイド文化」にびっくりする。
今の日本人には失いかけている世界だ。(我がマッセアトゥーラでは健在だ、笑)
天然のシルクやウールを草木染めして大きなものだと何年もかかって織り上げる。

4)ノンアルコール…禁酒国
旅行者でも、お酒を持っているだけで強制退去になるという噂。

5)チャイハネ(喫茶店)
紅茶と水タバコを目的に人々は集まる。
紅茶は角砂糖を口に含み、小さなグラスで受け皿に移してからチビリチビリやるのがイラン式。

6)果物がおいしい
水の美味しい国は食べ物も美味しい。
ブドウもスイカも乾燥地で作ったものは美味しい。

7)ピクニック
イラン人家族はとても仲がいい。
家族どころか、時には親戚中で夜な夜なピクニックに出かける。
芝生のある公園では夜の9時を過ぎると、大勢の人たちが集まってきて楽しんでいる。

いくらでも挙げるとキリがない。
あとは、実際に出かけてみて、エマームモスクの静寂さに身を静めよう。