2010年1月、出張中の週末はシチリア島に行きました

パレルモから、バスでカターニャまで移動。
朝、起きると、昨夜降り続いた雨は、嘘のように止んでいました。
バスは、イタリア国鉄のパレルモ駅の裏にあるターミナルから1時間に1本出ています。


途中、バスは、シチリア島のほぼ中央に位置するエンナの町を通過。
エンナは、「シチリアのへそ」と呼ばれる、標高約1000mの山の上にあります。
エンナを眺めながら、3時間弱でカターニャに到着です。


町の中に、普通に遺跡があります。
ほぼ歩いて回れるところに見所は集中しています。


大好きな、アランチーニ!
オレンジ(アランチャ)に似ていることから、
小さなオンレンジ「アランチーニ」と名付けられたそうです。
リゾットがふんだんに詰め込まれたライスコロッケで、ここのものは、
少し高めの設定だけど、さすが元祖と云うだけあって、味は今までの物と違って
洗練されています。つまみ食いのつもりが、歩きながら、ビール片手に食べたら満腹になりました。



国鉄カターニャ駅前の外れに出ていたレモン屋さん。
なんだか、ほのぼのするのは、僕だけ?


BARのおじさん。


シチリア第2の都市と云っても、人口は30万人。
30万人とは思えない、人々の活気ある生活が溢れていました。
この町を歩いて感じるのは、「このカオス(喧騒)は何!?」って云う、まさにアジア!
人波が凄過ぎ、やっと写真が撮れたのは、マーケットが終わってからです。カターニャ満喫しました!!





milanoのsartino氏が、マテーラの画像を送ってきてくれました。
僕が「何度も行く機会を逃している」と言ったから、、

行くまで極力見ないようにしていたけど、、

ついに、、見てしまった。(汗)
ありがとう。(苦笑)

 


渡欧中の週末、シチリアに行きました。
夜も明けぬ5時前、ミラノのホテルを出て、7時過ぎにパレルモ到着。


市内に向かう幹線道路も氾濫状態で、渋滞です。
外を眺めていると、日本でも報道された、ある事件を思い出しました。
シチリアと云うと、ゴッドファーザーのようなマフィアを思い起こす方が多いと思いますが、
1992年、マフィア撲滅のため、精力的に活動をしていたファルコーネ判事が、
パレルモ空港から市内に続く高速道路を160kmで走行中、
道路下に仕掛けられたダイナマイトで、道路ごと吹っ飛ばされました
その3ヵ月後、ファルコーネ判事と共に頑張ってきたボルセリーノ判事も暗殺されたそうです。
それを機に、パレルモ市は両判事の死を悼み、
空港名を「パレルモ・ファルコーネ・ボルセリーノ空港」と改めたそうです。

そんな事件を思い出しつつ、味気ない新市街を通り過ぎると、
旧市街にあるパレルモ駅前にバスが到着しました。

チェックインまで6時間以上あったのですが、気持ちよく部屋に通して下さいました。


ホテルは18世紀に建てられたシシリアン建築の建物の2階全フロアが利用され、
経営者ご家族も、そこに一緒に住まれています。
天井には、当時のままの壁画が維持され、残されています。


直ぐに部屋を出て、旧市街を歩きました。


旧市街は、イタリア語とアラブ語が併記されています。
実際、アラビア語が聞こえてきたりします


地中海に浮かぶシチリア島は、アフリカ大陸に近く、
一時期(9〜10世紀)アラブ人によって征服されていた時代があり、
その時期に、州都パレルモが発展した、という経緯があるからなのでしょう。


お腹がすいて、地元の人たちが集まるパニーニ屋さんに参戦。
瓶ビール片手に、アンチョビが、た〜っぷり詰まったパニー二は最高でした!


ほろ酔いで海まで歩いて振り返ったところです。


街中をひたすら歩きました。


プレトーリア広場や、その直ぐ北側にあるベッリーニ広場。
オペラで有名なマッシモ劇場は撮り忘れました。


ごく日常的に往来のある、クアットロ・カンティ(四辻と云う意味)


ノルマン王宮の回廊に描かれたモザイクや、
パラティーナ礼拝堂のモザイクの凄さは、画像からは伝わりません。


偶像崇拝が禁止されていたイスラム教ですから、
今から900年もの昔、人々の手で埋め尽くされた金色のモザイクは、
幾何学模様と文字装飾の発達したアラブ風の装飾で、聖書のエピソードが表されています。


至るところにイスラム建築の特徴、玉ねぎが!(笑)


イタリアのサルトは、ナポリばかりか、
フィレンツェやミラノでも、シチリア出身の方が多いのですが、
歩いていて出会った人たちは、ソフィスティケートという言葉からは程遠い、
実に人懐っこい、まるでアラブ人のように感情にストレートな人たち(お節介!)ばかりでした。

10時間も歩き疲れ、
食い意地の張った僕なのですが、
晩ご飯を食べる気力もなく、早めにベッドに入りました。



サルトリア巡礼、第3弾はミラノのサルトです。

ここでは、環境や技術的な部分より興味深かった事があり、
それは後継者育成システムで、熟練の職人を、若手の技術者が取り囲んで、
給料を貰いながら、お客様のお洋服を縫える環境が作られています。
詳しいご解説を頂き、色々なヒントを得ました。
ここでは書ききれない内容で、今後の行動の指針になります。
トリノ出身者をはじめ、4人の若手が縫っておられました。

日本人も1人、職人として仕事に就いておられます。

今回のサルトリア巡礼で会った日本の人たちと話していて、
勇気付けられたり心配になったり、色んな意味で複雑な心境ですが、
日本人が日本以外の国でモノづくりの学んでいる(仕事をしている)事実を、
日本に居る僕たちは、色々な角度から受け止めなくてはならないように思いました。

ここで裁断された生地が、附属と共に、併設の工房に流されます。

フィレンツェとの違いは、
品質の安定を目指して工程を分け、
数名の職人さんで1着の洋服を縫い上げ完成させる事。
フィレンツェが、より人間臭い洋服を目指したモノづくりであるのに対して、
国際都市ミラノが目指す服は、工業製品のような整理整頓された服ではないのですが、
立体的に構築された『手によってしか生み出せない』美しい服です。

改めて紹介しますが、
この傾向はパリに行くと、もっと顕著に現れます。
色々とお手配にご尽力頂いたsartinoさん、どうもありがとうございました。



サルトリア巡礼の第2弾もフィレンツェです。


リズムの良いお喋りに合わせ、リズム良く縫っていらっしゃいました。
お互いの手をチェックしながら(けなしながら!?笑)、
日本とはまた違った楽しい雰囲気の中に、洋服が生まれてくる環境があります。


カッティングに関しても縫製に関しても、
フィレンツェのサルトには、似たような共通点があります。


この著名なサルトでも、モノづくりの環境ばかりか、
技術的な部分まで詳しく見せて頂けて、とても参考になりました。
ただ見たからといって真似る事はできないし、また真似られるものでもないと思います。
だって僕達は日本人。日本の環境で、日本人の手で、、縫うのですから。


技術者同士が他愛もなく、
面白おかしくぶつかり合っている姿が
とても微笑ましく、印象的というか、こういう環境から、
良いものが生まれるんだなって、色々なことを考えさせてもらえました。
楽しい時間の中で、たくさんの気付きを頂きました。皆様、どうもありがとうございました。



今年からマーティンソンに2プライが加わりました。
3プライだと目付けが450gもあるので、「真夏は着たくないよ~」
という皆さま方には、こちらの、同じフレスコの2プライ(280g)がお勧めです。

フレスコは1907年にマーティンソンによって商標登録され、
中でも3プライは、僕の中で思い入れがあります
こちらが、その登録商標の現物です。

八ダスフィールドのマーティンソン社を訪れた時、

皆さんに色々と教えて頂きました。
左から、デザイナーのハンナさん、取締役のゴードン氏、営業部長のジェーンさん

1900年代のアーカイブ(過去資料)を見せてもらったのですが、
その中に、確かに3プライフレスコがありました。
何と!100年前の生地見本です。

こちらは現在のフレスコを使ったお洋服で、只今仮縫い着付け待ちです。
出来上がる頃には、ちょうど良い季節になっている予定。
Oさん、3プライの次は2プライを是非!(笑)



サルトリア巡礼第一弾はフィレンツェです。
以前、ジャケットをお願いしたサルトリアで、2度目の訪問です。


イタリアでは当たり前のように、足踏みミシンが使われています。


ウールのコートの裏地にカシミアを使ったり、


笑顔のある環境の中から、どんどん素敵な洋服が生まれるんですね。


カセンティーノに使うファーも、
イタリアでは、型紙から作って「ス・ミズーラ」です。


技術者の中山氏と僕とでは見る観点は違いますが(笑)、
イタリア独特の雰囲気が生まれてくる理由を、技術者として感じてもらえたようです。

ご協力頂いた皆さま貴重なお時間を頂戴しまして、ありがとうございました。
お陰様で、楽しく有意義な時間を過ごさせて頂く事が出来ました。



今回の海外出張、
フィレンツェ初日9時から、
いきなりですが、プライベートで、
僕のジャケットの中縫をしてもらってきました。


2着目2度目の中縫で、
ほぼ、修正点が何もない状態です。
総裏でお願いしていたのが背抜きになっていたので、
表地に響く(見える)のが嫌で、その部分だけ修正をお願いした程度です。


いつ出来るのか分かりませんが、気長に待ちます。(笑)




ハッダースフィールドで週末を迎えたので、
中世の面影を残すヨークシャーの古都、ヨークにOneDayTrip!!

ここは日本で云うと京都のようなところで、
中心部は、古代ローマ~中世にかけて築かれた城壁に囲まれ、
城壁の全長(周囲)は5キロ程ですから、直径だと僅か1.5キロ程の小さな町(旧市街)です。


この町について、取引先に教えてもらったのですが、
英国史の縮図、と言うだけあって激動の歴史を歩んできたようです。
古代ローマ帝国が、イングランド島にまで勢力を伸ばした時代、
この地にローマ軍が要塞都市を作り、1~5世紀初頭まで駐屯が続いたそうです。

ローマ軍が撤退した後、
残された地元ケルト人が小国家を作ったそうですが、
北ドイツ・ゲルマン人の流れを汲むアングロサクソン人によって略奪されました。

その後さらに9世紀に入ってからは、
北方民族であるデーン人(ヴァイキング)によって侵略され、
続いて11世紀にはノルマン人(ヴァイキングの子孫)によって占領劇が繰り返されました。
そのためヨークの城壁内には、中世以来の町並みが綺麗に残っています。


そして、中世終期に栄えた羊毛産業によって繁栄期を迎え、
17世紀の内乱時代、ジョージアン時代、ヴィクトリア朝時代、そして途中、
産業革命による羊毛産業の衰退と木綿産業の繁栄を経て現代へと英国の歴史は流れます。

ちなみにヨークという呼び方は
9世紀のころ、ヴァイキングの襲撃によって、
この地がヴァイキング王国の首都として『ヨーヴィック』と名付けられ、
これが現在の呼び方、ヨークの由来になったようです。

バイキング・フェスティバル?で、
街のあちこちでフードフェアも開催されていました。
バイキングをパチリ!ヴァイキングの子孫なのか、凄かったですよ。


これは、ヨークミンスター(大聖堂)です。


馬車が、中世時代のイメージを掻き立ててくれます!


のぼってみました。旧市街(城壁内)が一望!
800年近く前の初期イギリス式、イギリス最大のゴシック建築!!


シャンブルズと呼ばれるエリアは細い路地が集まっていて、
ここには14世紀頃の建造物が、今でも当時の面影を残したまま佇んでいます。
ここはテーマパーク?と思ったら、なんと!当時の建物を修復しながら使い続けているそうです。


木は、伐採されるまで、
生きてきただけ時間をかけて朽ちてゆきます。
今の日本の住宅に使われる木は30年で伐採されるので、30年で、、(汗)
これらは何年前の、、日本の社寺建築でもそうですけどね。


地震の少ない英国では、
木造家屋が被害を受けることは少なく、
それに戦争(空襲)の被害もほとんどありませんでした。
それゆえに、日本と比べるのは無理がなくはないのですが、なにより
古いきは良し、変わらぬは良しとする英国人の歴史・文化、そのものではないかと思います。
我々日本人も、戦後捨て去ってきた物を取り戻すには、
英国に気づかせてもらう事が多くありそうです。


キャッスルミュージアムで見つけたボタンナップブーツです。
日本でも明治時代に、大塚製靴によって製造され、売られていたようです。


紳士服の起源、軍服です。
詳しいことは分からないのですが、
ボーア戦争以前(1902年)の物だと思います。


1日ヨーク散策を堪能した後、
氷点下と云うのに喉が渇いて、ヨークで夕食を。。
それが運のつき?暖房がガンガンに効いた電車で酔いもさらにまわり、
気づいたら次の駅まで、、氷点下13度!戻る電車は1時間後!仕方なしにまた、、
駅の構内にある、こんなバーで呑みました。(笑)
寒いからエネルギーを使うのか、さほど酔わないんですよね♪




英国ランカシャー州ネルソンにあるシャツ地メーカー、acorn(エイコーン)を訪ねてきました。
ヨークシャー州に隣接したランカシャー州はかつては綿業が盛んだったようです。
それについては話がそれるので、あとで書かせて頂くことにします。

エイコーン(Acorn)は以前から何度も取り上げてきましたが、
ここは今でも全コレクションが英国内で織り上げられている数少ないメーカーです。
トーマスメイソンやデヴィッドジョンアンダーソンも1991年に伊アルビニ傘下に入って以来、
生産拠点の殆んど(全て?)がイタリアに移ってしまっていると聞きます。
※織機のチューニングは英国時代から培われてきたものです。

工場の統合によって、現在のエイコーンには2ラインあり
このウェアハウスには、クラシックな36inch巾の全コレクションが収まっています。
少しトレンド寄りの60inch巾のクラシックシャーティングのウェアハウスは、別になっています。

各国から受けたオーダーは、即日この場でカットされて発送されます。

約800柄のコレクション全てが、
こうして、カットサンプルとしてストックされています。

サンプルは全て手作業で作られ、こうしてストックされています。
これは今まで見てきた毛織物でも同じで、全て1つ1つ手作業で行なわれています。

左から長男クリス氏、現社長のジョン・チャトバーン氏、次男のジョージ氏。
社長のジョン氏は、トーマスメイソンの幹部も務めた人です。
そしてエイコーンは、1975年にジョンのお父さんが
トーマスメイソンを辞めて作った会社です。

下の画像は、昔の木製シャトル(杼)です。
これは後で書こうと思っているジョンケイの『飛び杼(ひ)』と
深く関わりが出てきますが、今でも、こんなシャトルを使った低速織機で織っている、
綿の生地ってあるのでしょうか?毛織物の世界では今でも使われていますが、シャツでは聞いた事がありません。

ウェアハウスの中の、ちょっとしたディスプレイが洒落てます。
奥に見える貝は、貝ボタンの材料となる白蝶貝(二枚貝)で真珠の母貝です。
真珠で最も高価と云われるピーコック(孔雀)カラーに輝いているのが、見て分かります。
あっ、また話がそれるので、それについてはまたの機会に。(苦笑)

そうこうしているウチにお昼になり、
近くのレストランに、ランチを食べに連れて行ってもらいました。

夏になると、レストランの前は、ビアガーデンスペースになるようですね。
ポカポカしていたので、昼からBeer飲んでご機嫌でした。

戻ってきたところの〝1ショット〟ですが、ウェアハウスであって、
お店ではないので、エントランスは簡素です。
知らなかったら気付きません。

今回の訪問で、クオリティサンプルや、
今後の『クラシックシャーティング』の展開の事や、
その他にも、裁断前に湯のしした時に気になっていたニオイの事や、
その他にも、物創りに対する熱い思いなどを聞かせて頂け、収穫の多い訪問となりました。

帰り道、違う道から駅まで送って頂き、
途中、トーマスメイソンの旧社屋横を通って下さいました。
今は賃貸ビルになってしまっているようですが、建物は以前のままだそうです。

気持ちの良い道ですね。
今回の訪問は、ヘンリープール経由で実現しました。
ヘンリープールのサイモン氏、並びにFtiのFさん、ありがとうございました。

冒頭で触れかけたランカシャー州の綿業の件ですが、
18世紀末~19世紀初にかけて起こった英国の産業革命の発端は、
ランカシャー地方とされています。では何故ウェールズとか、他の地方ではなく、
ランカシャー地方だったのかを考えてみると、そこに面白い事実が見えてくるんですよ。

英国で産業革命が起こる前は、
工場制手工業(マニュファクチュア)が全盛で、
その主要な生産物は毛織物でした。ヨーロッパ人の服の材料は
毛織物が中心でしたから、その当時の彼らにとってはそれで良かったのです。

ところが、商売として考えた場合はそうではなかった。
当時のイギリスの貿易相手国であるアメリカやアフリカの国々では、
綿織物が中心に売れたので、インドから綿織物を輸入して売っていたのです。
でも、もっと儲けを得るために、英国は自国で綿織物を生産しようと力を入れ始めました。

そんな時、産業革命の最初の発明、ジョンケイの『飛び杼』が生まれました。
それを起爆剤に、高度な紡績機械も発明され技術はどんどん進歩し、
飛び杼から更に36年後、ジェームズワットの蒸気機関が誕生し、
機械制大工業が確立された、という歴史があります。

そしてランカシャーに話は戻りますが、
それらの発明は当然のように綿工業に適用される事になります。
当時ランカシャーには、マンチャスターという綿工業を中心とする工業都市があり、
そこでは原材料の綿花を輸入し、
綿製品を輸出するための貿易港の街、リバプールがありました。
それで、最初の産業革命の恩恵を受けて発展したのがランカシャーであり、
今では、ランカシャー州が産業革命の発祥地と言われている、こういった経緯からだそうです。