はい、町に上がってきました!
凝灰岩の丘の上にそびえる町、オルヴィエートです!
大地から隆起した凝灰岩で形づくられた自然の城壁に囲まれているそうです!!


周囲2kmほどの小さな町は中世の雰囲気が色濃く残り、
町の崖の先にはウンブリア(州都はペルージャ)の緑の大地が続き、
壮大なパノラマ風景が広がっています。


テラコッタ(素焼き)の屋根瓦とトゥーフォ(火山灰から形成された凝灰岩)の壁とで
統一感のある見事な景観が守られているオルヴィエートの町。
その美しい町並みが一望できる『モーロの塔/Torre del Moro』に登りました!
石造りの建物と建物の間、路地の隅々まで鐘の音が響き渡ります。
静寂の石畳に響く鐘の音に驚いた鳥が羽ばたく姿は
中世から何も変わってないのでしょうね。


ピスタチオジェラートを食べながらの古い町並み散策は最高!


↑新 ↓旧 チンクエチェント(FIAT500)


チンクエチェントと同じプラットフォームを持つ FIAT Panda ↓↓↓
いきなり車の話に反れてますが、トゥーフォ(火山灰の凝灰岩)の壁と石畳を写しました(爆。


そうそう、イタリア独特のこの石畳のことを『サン・ピエトリーノ/San Pietrino』と呼びます。
16世紀、ローマ教皇によって「馬車が通っても耐えられる強い舗装」と発案され、
それから中央イタリアを中心として各地に広がっていったそうです。
僕は大丈夫ですが、この石畳に泣かされる人も多いです。
老朽化も進んでいるようで、まぁまぁ溝が深いので、特に女性は注意が必要!


この写真、映画ローマの休日で有名なVespaを生産する
PIAGGIO社の3輪トラックAPE(アペ)を撮ったんじゃないですよ!
それにしてもこのAPE、イタリア特有の入り組んだ石畳の町によく似合います(笑。



いきなり話はそれますが、、
オルヴィエートの街は、高所にある城壁にあることから「無敵の町」とされてきたそうです。
しかしこの街にも唯一の弱点があったそうで、それは水と食料です。
オルヴィエートには、川も農場もありません。
そこで先人たちが考え出したのが『地下洞窟/Orvieto Caves』です。

オルヴィエートは凝灰岩の丘上にあるので、
町のあちこち、至る所に洞窟があるそうなんです。
地下洞窟の内部には、水を汲み上げるめの井戸が掘られ、
中世にはオリーブオイル製造をはじめ、様々な作業場として発展。
そんな地下洞窟の一部が、先人たちの知恵が詰まった遺産として一般開放され、
ツアーに参加すれば、オルヴィエートの成り立ちや背景、歴史を肌で感じることができるそうです。
<参考>TRAVEL STAR

しかし僕はそのツアーには参加せず、違う場所で地下洞窟を経験しました。
ここがそうです! はい、お酒を頂く場ところです(爆。


地下洞窟を利用したリストランテ『レ・グロッテ・デル・フナーロ』です。
イタリア語で『Le Grotte del Funaro』、地下洞窟見学に是非(爆。


いちいち、お洒落です。




<2018年3月4日>

ローマ到着の翌日が休日だったので(わざとやろ!笑)
オルヴィエート(Orvieto)とチビタ(Civita di Bagnoregio)へ!
前から行きたかったのですが、ローマに用事がなくて今まで行きそびれていました(汗。

ローマ~オルヴィエートは快速電車で1時間10分ほど。


以前は駅の券売機で時間を調べていたのですが、IT技術の進化で便利になりました。
↓↓↓↓↓ ミラノ駅のチケット販売機(2006年1月撮影)


15年以上振りのローマ!
雰囲気は全く変わってないですねー
西欧では、建物(建物の外観/ファサード)は公共物という意識があり
個人の自由には出来ず、中身(店舗)だけ入れ替えますから、
当然ながら、町並みの雰囲気はほぼ変わりません。

一方、日本はデザイン的には好き勝手に(ではないにせよ)スクラップ&ビルドします。
街並みの美しさ(建物や家屋の外観)への細やかな配慮・気遣いも
おもてなしの範疇じゃないかなぁと思うのですが、、、

イタリアは石の文化で日本は木の文化、という違いはあるにせよ、
取り壊すものと未来に引き継ぐものをしっかり区別して都市計画をしてゆかないと、
日本の街並みは、ガラス張りや奇抜な四角い箱が並ぶだけの不調和で無機質な景観になる気がします。


オルヴィエート方面に向かう在来線のプラットフォームは
広~いテルミニ駅で、不安になるくらい遠くて不便なところにあります。
駅に着いてから10分ほど歩いたように感じます(汗。


オルヴィエートの町が見えました。
ローマから北に約100キロ、フィレンツェに向かう途中に
中世の佇まいを残した崖の上の(敵の侵入を阻む)美しい町オルヴィエートがあります。


ほぼ定刻に到着。


丘の上の町オルヴィエートへは、
駅前からフニコラーレ(ケーブルカー)に乗ります。
上のほうに城壁のようなものが見えますが、その上に町が広がっています。

それではフニコラーレに乗って、町へ上がります!



2018年03月09日(金) 訪問

イタリアを代表するラニフィーチョ(機屋/英語ではミルと言います)
VITALE BARBERIS CANONICO(通称カノニコ)の本社を訪問、見学させて頂きました!
今回の視察訪問は、
いつもお世話になっているボローニャの生地マーチャント『ドラッパーズ』社の社長
ドメニコ・ロッリさんにお手配をお願いし、実現しました。

訪問当日の朝、
ミラノでレンタカーを借りました。
アウトストラーダを1時間ほど走り、降りてから今度は
向かう方向にアルプスの山々を見ながら、のどかな風景の中を走ります。


少しずつ山間に入り、川沿いの道、車を走らせると、
アウトストラーダを降りてから20分ほどで同社に到着します。


イタリア毛織物の一大産地である
ビエッラのプラトリヴェロに広大な敷地をもつ同社。


毛織物に携わっていた事実を確認できる1663年当時の記録が残っています。
1863年には、
紡績から仕上げに至る全工程を自社で行うようになり(一貫房と呼びます)、
その後もどんどん進化を続けた同社は、
1910年(ちなみに大阪の市電は1903年に開通)には、
工場(織布工程)を電気によるフルオートメーション化させる事に成功しています。
その後も同社の生産体制(一貫房)は継続され、
今では最新鋭の機械によってオートメーション化されています。


今回の訪問で特に印象的だったのは、
今まで訪問した機屋さんと比べて明らかに静かでクリーンな環境。
そして働く人数が圧倒的に少ないことです。かなりの工程でオートメーション化が図られ、
デザインなど知的な仕事だけを人間がしている印象です。
労働者や環境への取り組みが評価され『欧州労働安全衛生機関』に表彰されたと聞きました。

また、世界に販路を拡大する同社は
現在年間800万メーター前後の高級紳士服地を生産しており、
その80%程が海外に輸出されているそうです。(オーダースーツに換算すると約300万着!)
フランスやイタリアの超高級既製服や、世界の注文服店が同社の顧客です。

最近では自社名のブランド化にもチカラを入れているそうです。

そのブランディング戦略の一環として、
フェラーリ社へ、オーダー用シートの生地を供給しているそうです!

また、
プロモーション用のノベルティーも豊富で楽しませてくれます。
イタリアらしいお茶目なオリジナルのチョッコラート。
他にも同社の生地を使ったピンクッションや
携帯用ショッピングバッグや靴袋など、
見学に来る者を引き付ける仕掛け
ありがとうございました!


実際の工場内をランダムに案内させて頂きます。
原毛は、オーストラリアにある同社の提携牧場から送られてきます。
洗毛(刈り取った羊毛に付いている脂分や汗、糞など、
土砂などを綺麗に洗い落とす工程)が終わった状態でパッキングされています。


下の画像、先染め中でも手間のかかる
TOP染色のひとつ『ビゴロ染色』と呼ばれるものです。
訪問話からそれますが、こんな機会も滅多にないので簡単に説明しておきますね。

これ、糸になる前の綿(わた)を引き伸ばした状態(スライバー)にプリントしているんです。
プリントされたシマシマのスライバーを、ほぐして混ぜ合わせることで、
全体を染めるより、均一で優しい表情のグレーになります。
プリント量の多少でグレーの濃淡を調整します。


これらの羊毛を使って、工場内で紡績(糸を作る)されます。


圧巻の染色釜。ここは染色工場じゃないですよ!
この規模からして、同社の織布工場としての規模が分かりますね。


はい、染め上がりました!
これから蒔き直しなど、幾つか地味な工程を経て
いよいよ生地が織られます(織布工程)。


同社の生地は
コストパフォーマンスに優れています。

生産量が圧倒的に多いので、
織布にもっとも手間のかかる成経工程がまとめられます。
他社と比べて圧倒的に少ないボディ(糸の種類、織り方が同じ物の呼称)で
多様な柄を反多く作れ、コストを抑えられるのです。

生地は経糸を引き揃えて、横糸の色や織り方でデザインをが変えます。
そのため、経糸をまとめて作っておけば、随分と効率が計れることになります。
これらの効率化は、同社にとってファッション性と反比例するどころか、
逆に自社一貫生産だからこそ、物作りの細やかな対応が可能となり、
ファッション性も高くなり、そこが同社が評価される理由だという印象を受けました。

販売力があるから、生産できます。
販売力があるということは、それだけ顧客の支持を集めるからです。
そして何より、同社は「紡績工程」を自社で抱える一貫房です。


また工場内を見て回ると、
そのメーカーのフィロソフィーがよく分かります。
同社の織機には全てカバーが付けられ、運転中は閉じるようになっています。
これは従業員の聴力(織機の運転音は凄く大きい)と安全を確保するためのものだそうです。
従業員に優しい会社、こういった点も
働く人のモチベーションの源泉となっているのでしょう。

こちらは、2014年に改装されたデザイン室です。


そして、
デザイナー室の奥にある扉を開けると、
バーカウンターのあるサロンスペースがあります。
生地棚にはCANONICOの生地が美しく並べられているんです。
大きな取引先を迎えてのパーティーなども、ここで開かれるのでしょうね。

さらにその奥には、
湿度が保たれたアーカイブ(生地見本)ルームがあります。
同社の過去のコレクションに加え、
伊、英、仏、墨から集められたコレクションが約2,000冊、これは圧巻です。
最古のものだと、1879年に編集されたそうです。


これらのアーカイブは、
新しいデザインの参考として、実際にデザイナーが使っています。

ただ将来的には、
この資料のデジタル化が進んでゆくと、
手に触れることさえ出来ない歴史的な資料になることでしょう。


今まで訪問した生地作りの訪問記は他にも書いています。
よろしければ、こちらもご覧下さい。
Magee/ドニゴールツイード① → こちら
Magee/ドニゴールツイード② → こちら

Edwin WoodHouse → こちら
Martin Sons&Co,Ltd. → こちら
Hudders Field の賃機屋 → こちら

Bateman Ogden → こちら
Holland&Sherry① → こちら
Holland&Sherry② → こちら
Ehglish Oak Mills/Dobcross → こちら

Acorn/シャツ地 → こちら

Idea Bierra/生地の見本市 → こちら


最後に、、
同じビエッラにあるピアチェンツァ社が1623年に毛織物商として創業、
1700年代に生地の生産を開始したとされますので、
カノニコ社が、現存する毛織物商として最古参であることは間違いないようです。




2018年03月08日(木) 訪問

ミラノのサルトリア『Sartoria Cresent』を訪問しました。
15年の付き合いになる河合氏の工房には、
ちょうど製作途中である、マッセアトゥーラのお客様のお洋服もたくさんありました。
年に数回、日本をはじめ、北欧や中国でトランクショーを開きながら、
それ以外、河合氏は毎日ここで洋服を縫っています。
ドゥオモから歩いて15分ほどの場所。


河合氏は、日に何度か休憩の折にバールに出向きます。
地元の人たちと会話を交わしながら、エスプレッソでリフレッシュ。
イタリアではエスプレッソが普通で「(カッフェ)ノルマーレ」と呼ばれていて、
日本で一般的なコーヒーは「アメリカーノ」と呼び、それはエスプレッソにお湯を注いだものです。
画像はイメージです


本題に戻ります(汗。
僕の洋服を初めて縫ってもらったのが2010年の春です。


2012年春に、マッセアトゥーラのお客様の洋服を縫ってもらうようになりました。


本格的なスタートは、2013年の春です。


Sartoria Cresentの河合氏が作る洋服は、
手に、糸と針をもって縫われる完全な手縫い服です。
体に合う合わないという以前に、既製服とは一線を画す洋服です。

着ていくうちに変化をする服。


わざわざ手で縫わなくても洋服は完成しますが、手で縫う事に意味があります。
しかし本来、特別なことではなかったのです。
服作りが機械化される前の紳士服と同じ製法で作られます。
今の洋服の殆どが工場縫製『サイズが合った既製服』量産向きの製法です。
見慣れないとパッと見では区別がつかないと思います。でも見えてしまうと戻れません(涙。


僕は、
河合氏はミラノの空気感を表現するために手縫いしているように思います。
彼が言う『着飾るための服ではなく、人に馴染んでいく服』
静かな存在感こそがミラノの服だと言います。
着続けると、ますますミラノの空気感をまとうようになる。

彼が作る洋服を着るということは、
先達によって数百年受け継がれてきたヨーロッパの、
その中でもミラノの歴史や伝統・文化をも纏うことになるんだと思います。

下の画像は、
河合氏が独立前に働いていた
ミラノで最も有名なサルトの1950年代の集合写真です。


10時間程で縫い上がる工場縫製のオーダー服と比べて(工場縫製にも3倍程の縫製時間の違いがある)
どちらが良い悪いの話ではなく、そもそも違う思想の上に成り立つ物作りです。
着た瞬間に分からなくても、長年その洋服と一緒に過ごしていくと、
その違いだけでなく河合氏の洋服作りに対する思いまで
きっと、気付いてゆく事になるでしょう。


下の画像は、
1975年のフォルビチドーロ賞/Forbici d’oro(金の鋏賞)の競技中のひとコマです。


Sartoria Cresent の工房で洋服づくりの現場に触れ、
幸せな気持ちで工房をあとにしました。
河合君、いつもありがとう!




2018年03月05日(月) 訪問

ローマの靴工房『Perticone』に伺いました。
この工房で、世界中の顧客の靴が縫われています。


Perticoneの吉本さんが作られる靴は、
全てフルハンドソーンウェルテッド製法(手縫い)です。
靴作りが機械化される前、高級紳士靴の代表的な製法が、この製法でした。
何百年も昔から伝わる手縫靴の代表的な製法で、靴作りの完成形だと言われている製法です。

現代の高級紳士靴の代名詞といえば、
ハンドソーンウェルテッド製法を機械化したグッドイヤーウエルテッド製法が一般的です。
これは洋服で言う『工場縫製のオーダー服』同様、量産向きの製法で
見慣れないと、パッと見では区別がつかないです。
でも見えてしまうと戻れません(爆。

見た目で判らなくても、
このハンドソーンウェルテッドの履き心地は全くの異次元で、
スリッパを履いたような感覚がとても優しいです。


ここで勘違いしがちなのは、
手で縫うから柔らかく、履き心地が良いだけでなく、
手でしか縫えない構造が、履き心地を大きく左右するということです。

手でしか縫えない構造で、
それには高度な技術と多くの時間、多くの材料が必要になります。

昔は靴が高価であり、今のような使い捨てではなく、
何度も底を張り替えて、大切に履き続けることが当たり前だったとお爺ちゃんが話してました。
構造は複雑であっても、修理できるようになっていたのだと思います。


中底にはコルクが敷き詰められ、履くほどに自分の足裏の形状に馴染みます。


昨年末のトランクショーでオーダーを頂いた
MasseAtturaのお客様、Aさんのラスト(木型)もありました!
右の真新しいラストがAさんのもので、外国の方の大きなラストと比較しても
31cmあるAさんのラストは、日本人のラストとは思えないくらい大きくスラリとしています!!
次回2018年7月に仮縫、そこで更に調整が加えられます。


靴づくりの現場に触れ、
幸せな気持ちで『Perticone』の工房をあとにしました。
Yoshimotoさん、ありがとうございました!



今回の旅は、ほんっと色々ありまして、、こんなトラブル続きは初めて!
無事に帰国して思うのは、それも良い想い出かなと。
ハイライト?だけ先にお伝えしますね!

◎ローマ(靴/Perticone
 2011年から僕の靴を作って頂くようになった吉本氏の工房を訪問。
 週明けから、新工房に引越しされるそうです。


◎フィレンツェ(洋服)
 宮平君のSartoria Corcosでお世話になっていたマイスターファクトリーの卒業生を訪問。
 今後の方向性についての話をウダウダと、、多分、次はナポリかな(笑。
 ナポリの方が性格的にも物作り的にも向いていると思う(爆。


◎ミラノ(洋服/Sartoria Cresent)
 2005年からミラノに渡り、2010年に最初の1着目を作ってもらった河合君の工房を訪問。


◎ミラノ(シャツ/Turri)
 初訪問。北イタリアらしい洗練された美しいシャツを作る工房を訪問。


◎ビエッラ(機屋/CanonicoとC.BARBERA)
 ボローニャにあるドラッパーズのロッリさんのお手配で機屋さん2件を訪問。

Vitale Barberis Canonicoを訪問

莫大な量のアーカイブ


C.BARBERAを訪問
工場の全景

コラード バルベラ氏(3代目社長)


◎観光(ローマ近郊の町とリビエラ海岸)
 週末を利用して、ローマ近郊の中世の町と、リビエラ海岸沿いの幾つかの町を訪れる。

チヴィタ ディ バニョレージョ


オルヴィエート


サンタ・マルゲリータ・リグレ から リヴィエラ海岸沿いをジェノバへと向かう。


晴れていたら、どれだけ感動的な景色だったろうと思うと、少し残念。


ポルトフィーノからサンタ・マルゲリータ・リグレに戻ってきたところ。


詳しくは、追々ご紹介させて頂きます!



パリ市内のビルの1フロアに、
訪問先『フランチェスコ・スマルト』の工房があります。
ここは、各国の大統領や国王、世界の超V.I.Pを顧客にもつ老舗のメゾン。
そして、このメゾンで働く30人余り職人集団を取りまとめるのが日本人の鈴木健次郎さんです。
鈴木さんは、最近では日本のテレビにも幾度となく出演されているので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。


工房の中は明るくて開放的な雰囲気です。
スマルトだけに限らず、イタリアやパリの工房は、どこも開放感に溢れています。
一緒に仕事をするなんて、当時は思ってもなかったマッセアトゥーラの技術者、中山君が熱心に見入っています。


鈴木さんが型紙(パターン=設計図)を作り、これを基に裁断から縫製まで、30人余りの職人で1着を縫い上げる。
そのすべての工程をチェックする事も鈴木さんの仕事で、僕たちの見学中にも、ひっきりなしに
鈴木さんのもとに、縫製中の洋服を抱えた職人が判断を求めてやってきました。


芯も1針1針、手作りします。


全てが手仕事です。
パリの手仕事は、手の匂いを消します。
対極にあるのがナポリで、手の匂いプンプン、泥臭ささえ感じます。
住居も食事もそうですが、洋服もその土地の気候風土、更にはそこで育った人間性に因ります。


こうして各行程ご説明頂いている間にも、
鈴木さんのもとには、次から次へと洋服が持ち込まれ、質問攻めです。


細部まで、スマルト流の美意識が込められます。


ゴージも機械で縫ったような 綺麗な線ですが、
ミシンで縫った線とは明らかに違う 優しい表情をしています。
ミシンで縫われた「整理整頓された」無機質な表情ではなく、手の「美しさ」が
この線には宿っています。ゴージばかりを集めた特集でもすれば、一目瞭然なんですけどね(笑。
神は細部に宿る(byミース・ファン・デル・ローエ)が正にそうで、穴かがりを見ると、仕事のレベルが分かるのと同じで、
物凄い細番手の繊細な生地を、こんなゴージ線に仕上げるのが、まさにパリの洋服なんだろうなと思います。


鈴木さん、お仕事の手を止めさせてごめんなさい。
普通に入る事のできない貴重な経験をさせて頂き、本当にありがとうございました!
そして鈴木さんを紹介してくれたTakashiさん(パリでバレンシアガのパタンナーをされています)にも感謝です!!

僕は自分の興味で、イタリアのサルトや英国の機屋を見て回ってきました。
僕が、伊や英で作ってもらった洋服を見せても批判的な事しか言わない技術者が多い中、
雰囲気として受け入れるような話をしていたことを思い返し同行を受け入れ、工房の訪問を多くした出張でした。

マッセアトゥーラを、今のような工房併設型の店舗に移転すると決めた時も、
彼は違う店の技術者として働いていたので、まさか今みたいに技術者として入ってくれると思っていませんでした。
この仕事を始めた1999年~今まで、数多くの機屋さんや工房を訪問させて頂きましたが、
それら1つ1つの経験が、今のマッセアトゥーラの糧となっています。
ご協力下さった皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。



2010年1月21日
パリ中心部の第8区、マドレーヌ広場に面する
老舗のタイユール(=ビスポークテーラー)『カンプス・ドゥ・ルカ』
1948年、イタリア人のマリオ・ドゥ・ルカが、タイユール『メゾン・ドゥ・ルカ』を創業し、
1969年に、スペイン人のジョゼフ・カンプスがそこへ合流し、現在のカンプス・ドゥ・ルカとなったそうです。

現在、創業者の後を継いだマルク・ドゥ・ルカ氏が2代目の経営者となり、自らがカッターを務めながら、
3代目になる息子さんのジュリアン・ドゥ・ルカ氏をメゾンの後継者として育成しています。
今回の訪問はパリでバレンシアガのパタンナーをされているTAKASHIさん、
そしてTAKASHIさんのご紹介で、パリでタイユールをされている
鈴木健次郎さんご夫妻のお力をお借りして実現しました。
この場をお借りし改めて御礼申し上げます。

この当時の鈴木健次郎さんは、『フランチェスコスマルト』でヘッドカッターをされていましたが、
現在は独立され、ご自身でタイユールとして、ご活躍されています。
ここまでは前置きとしまして、本題に。

顧客の受注票には、細かく指示寸が書き込まれています。


これが全てなので、漏らすことがあっては許されないと仰っていました。


裁断後の生地は、ボタンや裏地など附属類と一緒にまとめられます。


仮縫時など、この指示書はいつも付いて回ります。


芯も1着1着、寸法に合わせて作られます。
これは、ヨーロッパのテーラーでは当たり前です。
日本のように既成芯がないので、最初から作りこまれます。
マッセアトゥーラでは、価格帯に応じて、この方法を取らせて頂きます。


何人かの分業体制がとられています。
工場のように、大きなラインの中で流れるものではありません。


ビルの1フロアがカンプスの店舗兼工房なので、
部屋が細かく分かれていて、大勢の技術者が働いています。
マルク氏本人もイタリア系ですが、生粋のフランス人は少ないと思いました。


芯地や裏地などの附属類のお店も教えて頂き、この後、仕入れに行きました。


お仕事の手を止めて沢山ご説明頂き、貴重な経験をさせてもらしました。
マルクさんジュリアンさんをはじめ、メゾンで働かれている皆さま、ありがとうございました!


お土産で持って行った1つ、浮世絵のコースターです。
やっぱり男性には、これでしょ(笑!




2010年1月19日
慣れてきた感のある訪問6度目のナポリは、
アミナ・ルビナッチのヘッドオフィス(兼サンプル工房)と
ロンドンハウス、それにチェーザレ・アットリーニを訪問させて頂きました。
アミナ・ルビナッチ代理店のF社長、貴重な機会を与えて下さって、ありがとうございました。

まずロンドンハウスから、、
ここは、店舗の奥に工房が併設され技術者が常駐しています。
ロンドンハウスについては、以前のブログに書いているので、そちらをご覧下さい
トゥーリオ・アットリーニ(ヴィンチェンツォの次男)さんも以前ここで働いて(縫って)いらっしゃいました。
この日は、若い技術者(と言っても50歳過ぎ)が1人いらっしゃるだけで、
工房が活発な印象はなく、、見せてもらえなかった?笑

ミラノのカラチェニもそうですが、
ここロンドンハウスも、1人の技術者が丸々縫うので、技術者によって微妙に違う洋服になります。
以前、マッセアトゥーラのお客様、Nさんの
ロンドンハウス製のスーツを何着か見せて頂きましたが、
同じNさんの洋服でも、見た感じでは2人の技術者に分かれてました。
スタイルは同じですが、縫い(縫製)が違うので、出来上がると微妙に雰囲気が違います。
ロンドンハウスのルビナッチさんに、技術者を指名できるか聞くと、ご希望なら可能だとおっしゃってました。
でも、そこまで指示されるお客様はなく、それも楽しんでいらっしゃるよう。
この辺り、そういう発想自体が日本的なんでしょうね(汗。

その後、最近オープンした『チェーザレ・アットリーニ』へ。
ここはヴィンチェンツォの息子さん3兄弟のうち、3男さんのお店です。
場所はフィランジェリ通(Via G. Filangeri)のエルメスやボレッリの向かい側。
3男さんはモデリストで、大きな工場も経営されていらっしゃってて、ここはその直営店です。
店内には長男クラウディオさんがいらっしゃいました。以前のサルトリアを閉店してお手伝いに入られたそうです。
もう1人見覚えのある顔が、、近くにあるルイジ・ボレッリにいらっしゃた方もスタッフになられてました!

クラウディオさんは以前『Sartria Attolini』を、近くの映画館の隣接地で経営されてました。
そこはクラウディオさんがお父さんから受け継いだサルトリアで、2人息子さんは跡を継がず閉店されました。
チェーザレさんの3人の息子さんたちは跡は継いでても技術は継承していないようで、
後継者について聞くと日本より状況は悪いようで先が危ぶまれます。

この画像は、確か2002年に撮影したものです。

今(2014年)から12年前のクラウディオさん、この当時は71歳ですね。
クラウディオさんも若いですが、僕はもっと若く見えるハズなのに?今と変わらずオッサン!(笑


話を3男さんの『チェーザレ・アットリーニ』に戻しますが、
工場と言っても、手縫いを多様した物もあって、ここのお店ではそんな洋服が並んでいました。
クラウディオさんにお年を聞くと、もう80歳になったとおっしゃってました。

ナポリでも、採寸から型紙~縫製まで自己完結出来るような後継者は育ってないと聞きます。
工房には入れなかったののですが、色々と興味深い話を聞けました。

今回のナポリでは、たくさん
貴重な経験をさせて頂けたのに、古い画像ばかり、、
何故かメディアのデーターが、ナポリだけ消えてしまっているんです(汗。
唯一残っているのが、アミナ・ルビナッチさんの工房で撮ってきたスパンコールの糸だけ(笑。
いい写真がいっぱいあったのに本当に残念です。ごめんなさい!


ナポリは、今までいつも1人だったのですが、
ナポリ歴30年近いFさんのお陰で、奥深い普段のナポリを知れました。
色々と時間を割いて下さった皆さん、そしてアテンドして下さったFさんに感謝いっぱいです!



2010年1月18日
昨夜、シチリア島のカターニャから夜汽車に乗って、
朝06:00にナポリチェントラーレに到着、一旦ホテルにチェックイン。
以前、ポンペイとエルコラーノには行ったので、今回はパエストゥムの遺跡を見に行きました。
*写真はケレス神殿


ポンペイやエルコラーノのように、町全体としての遺跡というより、
こちらは古代ローマ時代より古い、古代ギリシャ時代の『神殿(ギリシャ建築)』が見もので、
町全体というより、むしろ僕は『壮大な彫刻物』を見に行ったような感じでした。
遺跡として管理されているエリア以外にも、遺跡が点在しています。
世界で最も保存状態の良いドーリア様式の傑作だそうで、
アテネのパルテノン神殿に規模では負けても、
保存状態はこちらが良いとか。

ナポリチェントラーレから直通の電車も出ていたのですが、
本数が少なく、何の下調べもしてなかったので、途中のサレルノまで電車で行って、
そこからバスで向かうことにしました。サレルノは以前にアマルフィーに向かう時にも通過した町です。
その町から、アマルフィーとは逆の海沿いを走るバスに乗りました。


めちゃくちゃ天気が良かったので、マリーナも最高の雰囲気。
後ろ髪を惹かれる気持ちで、パエストゥム行きのバスに乗り込みました。


ネプチューン神殿(Tempio di Nettuno)。
ローマ建築と異なり、この時代まだ円柱以外には曲線が用いられていません。


バシリカ(basilica)


遺跡の大きさが分かります。


ここには、ギリシャ時代だけではなく、
ローマ時代の遺跡も残っています。最初に「町全体の遺跡としてではなく、、」
と書きましたが、見所はそこじゃなくってって意味で、その後の変遷の中でローマ時代の遺跡も残っています。


広々としているので、散歩気分です♪
遺跡を見ていて、こんな気分になるのは初めてかも。
下に芝生とか生えているからでしょうか、良い「気」が流れてるから!?


ほら、ローマ遺跡の象徴!?円形劇場もあります!


周りは何もない田園風景で、とってものんびりしていました。
さぁ、イタリアでの週末も終わりました!明日からまた吸収しまくってきます