パリ市内のビルの1フロアに、
訪問先『フランチェスコ・スマルト』の工房があります。
ここは、各国の大統領や国王、世界の超V.I.Pを顧客にもつ老舗のメゾン。
そして、このメゾンで働く30人余り職人集団を取りまとめるのが日本人の鈴木健次郎さんです。
鈴木さんは、最近では日本のテレビにも幾度となく出演されているので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。


工房の中は明るくて開放的な雰囲気です。
スマルトだけに限らず、イタリアやパリの工房は、どこも開放感に溢れています。
一緒に仕事をするなんて、当時は思ってもなかったマッセアトゥーラの技術者、中山君が熱心に見入っています。


鈴木さんが型紙(パターン=設計図)を作り、これを基に裁断から縫製まで、30人余りの職人で1着を縫い上げる。
そのすべての工程をチェックする事も鈴木さんの仕事で、僕たちの見学中にも、ひっきりなしに
鈴木さんのもとに、縫製中の洋服を抱えた職人が判断を求めてやってきました。


芯も1針1針、手作りします。


全てが手仕事です。
パリの手仕事は、手の匂いを消します。
対極にあるのがナポリで、手の匂いプンプン、泥臭ささえ感じます。
住居も食事もそうですが、洋服もその土地の気候風土、更にはそこで育った人間性に因ります。


こうして各行程ご説明頂いている間にも、
鈴木さんのもとには、次から次へと洋服が持ち込まれ、質問攻めです。


細部まで、スマルト流の美意識が込められます。


ゴージも機械で縫ったような 綺麗な線ですが、
ミシンで縫った線とは明らかに違う 優しい表情をしています。
ミシンで縫われた「整理整頓された」無機質な表情ではなく、手の「美しさ」が
この線には宿っています。ゴージばかりを集めた特集でもすれば、一目瞭然なんですけどね(笑。
神は細部に宿る(byミース・ファン・デル・ローエ)が正にそうで、穴かがりを見ると、仕事のレベルが分かるのと同じで、
物凄い細番手の繊細な生地を、こんなゴージ線に仕上げるのが、まさにパリの洋服なんだろうなと思います。


鈴木さん、お仕事の手を止めさせてごめんなさい。
普通に入る事のできない貴重な経験をさせて頂き、本当にありがとうございました!
そして鈴木さんを紹介してくれたTakashiさん(パリでバレンシアガのパタンナーをされています)にも感謝です!!

僕は自分の興味で、イタリアのサルトや英国の機屋を見て回ってきました。
僕が、伊や英で作ってもらった洋服を見せても批判的な事しか言わない技術者が多い中、
雰囲気として受け入れるような話をしていたことを思い返し同行を受け入れ、工房の訪問を多くした出張でした。

マッセアトゥーラを、今のような工房併設型の店舗に移転すると決めた時も、
彼は違う店の技術者として働いていたので、まさか今みたいに技術者として入ってくれると思っていませんでした。
この仕事を始めた1999年~今まで、数多くの機屋さんや工房を訪問させて頂きましたが、
それら1つ1つの経験が、今のマッセアトゥーラの糧となっています。
ご協力下さった皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。



2010年1月21日
パリ中心部の第8区、マドレーヌ広場に面する
老舗のタイユール(=ビスポークテーラー)『カンプス・ドゥ・ルカ』
1948年、イタリア人のマリオ・ドゥ・ルカが、タイユール『メゾン・ドゥ・ルカ』を創業し、
1969年に、スペイン人のジョゼフ・カンプスがそこへ合流し、現在のカンプス・ドゥ・ルカとなったそうです。

現在、創業者の後を継いだマルク・ドゥ・ルカ氏が2代目の経営者となり、自らがカッターを務めながら、
3代目になる息子さんのジュリアン・ドゥ・ルカ氏をメゾンの後継者として育成しています。
今回の訪問はパリでバレンシアガのパタンナーをされているTAKASHIさん、
そしてTAKASHIさんのご紹介で、パリでタイユールをされている
鈴木健次郎さんご夫妻のお力をお借りして実現しました。
この場をお借りし改めて御礼申し上げます。

この当時の鈴木健次郎さんは、『フランチェスコスマルト』でヘッドカッターをされていましたが、
現在は独立され、ご自身でタイユールとして、ご活躍されています。
ここまでは前置きとしまして、本題に。

顧客の受注票には、細かく指示寸が書き込まれています。


これが全てなので、漏らすことがあっては許されないと仰っていました。


裁断後の生地は、ボタンや裏地など附属類と一緒にまとめられます。


仮縫時など、この指示書はいつも付いて回ります。


芯も1着1着、寸法に合わせて作られます。
これは、ヨーロッパのテーラーでは当たり前です。
日本のように既成芯がないので、最初から作りこまれます。
マッセアトゥーラでは、価格帯に応じて、この方法を取らせて頂きます。


何人かの分業体制がとられています。
工場のように、大きなラインの中で流れるものではありません。


ビルの1フロアがカンプスの店舗兼工房なので、
部屋が細かく分かれていて、大勢の技術者が働いています。
マルク氏本人もイタリア系ですが、生粋のフランス人は少ないと思いました。


芯地や裏地などの附属類のお店も教えて頂き、この後、仕入れに行きました。


お仕事の手を止めて沢山ご説明頂き、貴重な経験をさせてもらしました。
マルクさんジュリアンさんをはじめ、メゾンで働かれている皆さま、ありがとうございました!


お土産で持って行った1つ、浮世絵のコースターです。
やっぱり男性には、これでしょ(笑!




2010年1月19日
慣れてきた感のある訪問6度目のナポリは、
アミナ・ルビナッチのヘッドオフィス(兼サンプル工房)と
ロンドンハウス、それにチェーザレ・アットリーニを訪問させて頂きました。
アミナ・ルビナッチ代理店のF社長、貴重な機会を与えて下さって、ありがとうございました。

まずロンドンハウスから、、
ここは、店舗の奥に工房が併設され技術者が常駐しています。
ロンドンハウスについては、以前のブログに書いているので、そちらをご覧下さい
トゥーリオ・アットリーニ(ヴィンチェンツォの次男)さんも以前ここで働いて(縫って)いらっしゃいました。
この日は、若い技術者(と言っても50歳過ぎ)が1人いらっしゃるだけで、
工房が活発な印象はなく、、見せてもらえなかった?笑

ミラノのカラチェニもそうですが、
ここロンドンハウスも、1人の技術者が丸々縫うので、技術者によって微妙に違う洋服になります。
以前、マッセアトゥーラのお客様、Nさんの
ロンドンハウス製のスーツを何着か見せて頂きましたが、
同じNさんの洋服でも、見た感じでは2人の技術者に分かれてました。
スタイルは同じですが、縫い(縫製)が違うので、出来上がると微妙に雰囲気が違います。
ロンドンハウスのルビナッチさんに、技術者を指名できるか聞くと、ご希望なら可能だとおっしゃってました。
でも、そこまで指示されるお客様はなく、それも楽しんでいらっしゃるよう。
この辺り、そういう発想自体が日本的なんでしょうね(汗。

その後、最近オープンした『チェーザレ・アットリーニ』へ。
ここはヴィンチェンツォの息子さん3兄弟のうち、3男さんのお店です。
場所はフィランジェリ通(Via G. Filangeri)のエルメスやボレッリの向かい側。
3男さんはモデリストで、大きな工場も経営されていらっしゃってて、ここはその直営店です。
店内には長男クラウディオさんがいらっしゃいました。以前のサルトリアを閉店してお手伝いに入られたそうです。
もう1人見覚えのある顔が、、近くにあるルイジ・ボレッリにいらっしゃた方もスタッフになられてました!

クラウディオさんは以前『Sartria Attolini』を、近くの映画館の隣接地で経営されてました。
そこはクラウディオさんがお父さんから受け継いだサルトリアで、2人息子さんは跡を継がず閉店されました。
チェーザレさんの3人の息子さんたちは跡は継いでても技術は継承していないようで、
後継者について聞くと日本より状況は悪いようで先が危ぶまれます。

この画像は、確か2002年に撮影したものです。

今(2014年)から12年前のクラウディオさん、この当時は71歳ですね。
クラウディオさんも若いですが、僕はもっと若く見えるハズなのに?今と変わらずオッサン!(笑


話を3男さんの『チェーザレ・アットリーニ』に戻しますが、
工場と言っても、手縫いを多様した物もあって、ここのお店ではそんな洋服が並んでいました。
クラウディオさんにお年を聞くと、もう80歳になったとおっしゃってました。

ナポリでも、採寸から型紙~縫製まで自己完結出来るような後継者は育ってないと聞きます。
工房には入れなかったののですが、色々と興味深い話を聞けました。

今回のナポリでは、たくさん
貴重な経験をさせて頂けたのに、古い画像ばかり、、
何故かメディアのデーターが、ナポリだけ消えてしまっているんです(汗。
唯一残っているのが、アミナ・ルビナッチさんの工房で撮ってきたスパンコールの糸だけ(笑。
いい写真がいっぱいあったのに本当に残念です。ごめんなさい!


ナポリは、今までいつも1人だったのですが、
ナポリ歴30年近いFさんのお陰で、奥深い普段のナポリを知れました。
色々と時間を割いて下さった皆さん、そしてアテンドして下さったFさんに感謝いっぱいです!



2010年1月18日
昨夜、シチリア島のカターニャから夜汽車に乗って、
朝06:00にナポリチェントラーレに到着、一旦ホテルにチェックイン。
以前、ポンペイとエルコラーノには行ったので、今回はパエストゥムの遺跡を見に行きました。
*写真はケレス神殿


ポンペイやエルコラーノのように、町全体としての遺跡というより、
こちらは古代ローマ時代より古い、古代ギリシャ時代の『神殿(ギリシャ建築)』が見もので、
町全体というより、むしろ僕は『壮大な彫刻物』を見に行ったような感じでした。
遺跡として管理されているエリア以外にも、遺跡が点在しています。
世界で最も保存状態の良いドーリア様式の傑作だそうで、
アテネのパルテノン神殿に規模では負けても、
保存状態はこちらが良いとか。

ナポリチェントラーレから直通の電車も出ていたのですが、
本数が少なく、何の下調べもしてなかったので、途中のサレルノまで電車で行って、
そこからバスで向かうことにしました。サレルノは以前にアマルフィーに向かう時にも通過した町です。
その町から、アマルフィーとは逆の海沿いを走るバスに乗りました。


めちゃくちゃ天気が良かったので、マリーナも最高の雰囲気。
後ろ髪を惹かれる気持ちで、パエストゥム行きのバスに乗り込みました。


ネプチューン神殿(Tempio di Nettuno)。
ローマ建築と異なり、この時代まだ円柱以外には曲線が用いられていません。


バシリカ(basilica)


遺跡の大きさが分かります。


ここには、ギリシャ時代だけではなく、
ローマ時代の遺跡も残っています。最初に「町全体の遺跡としてではなく、、」
と書きましたが、見所はそこじゃなくってって意味で、その後の変遷の中でローマ時代の遺跡も残っています。


広々としているので、散歩気分です♪
遺跡を見ていて、こんな気分になるのは初めてかも。
下に芝生とか生えているからでしょうか、良い「気」が流れてるから!?


ほら、ローマ遺跡の象徴!?円形劇場もあります!


周りは何もない田園風景で、とってものんびりしていました。
さぁ、イタリアでの週末も終わりました!明日からまた吸収しまくってきます




3日過ごしたシチリアとも今日でお別れ。
カターニャの駅前でパニーニとビールの晩ご飯を済ませ、


翌朝のナポリに向かう列車(終着はローマ)に乗り込みました。
もちろん、缶ビールも買っています(笑。


時間の節約も出来るしホテル代も浮くし、それより、
あの心地よい振動が子守唄みたいに聞こえ、酔いが回ってきて
自然に眠りにつける、あの心地よさが止められず、昔から夜行列車は大好きです。


カターニャ22:04出発
メッシーナ(海峡)駅23:30到着
準備を済ませ、23:50から船底に積み込み開始!


牽引してきた機関車を切り離し、
最後尾の車輌の後ろに機関車を連結し、後ろから押します。


列車が船内に押し込まれてゆきます。


前の3両だけ切り離して、一旦バックし、また次の列車を押し込みます。
今度は4両を残して機関車と切り離し、またバックする。
これを繰り返し列車は全て積み込まれます。
牽いてきた機関車はここまで。


積み終わったら、船内に出てゆっくり過ごせます。


メッシーナ海峡の夜景を眺めながら、
ナポリ側の港、ヴィッラSt.ジョバンニに向けて船はゆっくりと進みます。


船は、イタリア国鉄『トレ二タリア』の専用船です。
昔の青函連絡船も、こうして列車を積んで海を越えていました


25時、ヴィッラSt.ジョバンニに到着すると、線路がゆっくりと降りてきました。


今から約30分かけて列車を降ろします。


イタリアの地図を思い出して下さい!
船を出ると、イタリア長靴のつま先に上陸です(笑。
それじゃ6時のナポリ到着までゆっくり休みます、お休みなさいzzz
到着して午後から、ロンドンハウスの工房と、アミナ・ルビナッチのニット工房訪問です。


最後に、、
話の流れと関係ないんですけど、フィアットが作った初代ペンドリーノ(ETR450)です。
愛嬌のある風貌ですが、最高速度320km/hで、営業速度は250km/h。
1988年の登場で今は主要路線からは外されましたが、
日本の初期型0系みたいな扱われ方で、
今でも現役で走っています。


前回の出張の時はバルセロナに行った週末旅行でしたが、今回のシシリー行きも大満足!
ナポリに着いて、今日からまた工房巡りが始まります!!
それは、また改めて。



昨日と今日の午前中でカターニャを駆け足で見て回り、何となく町の雰囲気も分かったので、
午後から列車で、隣町のシラクーザに向かいました。*2005年世界遺産登録


駅前に自転車があったので借りようと、


タバッキの人とごちゃごちゃしてる内に、
システムの故障で、スタンドから自転車が離れないってなって、
ごちゃごちゃしていた時間も楽しくて今となっては思い出ですが、結局は歩いて回る羽目に。
ん?良く見ると、このテールランプ、僕の『Di Blasi』と同じですね。シチリアでは一般的なのかもしれません(笑!


予想以上に遺跡までは遠く、着いた頃には、、


ちょうど閉まったところでした(汗。
15時30分ですよ、15時30分!早すぎませんか!!?
中には入れませんでしたが、周りから中を覗けたので、すっかり入った気分(笑。


その後に行った博物館も閉まってて(こっちは休館だったかな?)、
そこで、偶然にも朝、電車で一緒だった英国人スティーヴと再開し、「俺らついてないよなぁ~」と笑いつつ、
そのせいか仲間意識が生まれて?一緒にオルティージャ島まで歩く事になりました。


途中、新興宗教?の建物みたいなの異様な建築物が現れたのですが、
彼はしっかり調べていたようで、これはマドンナ・デッレ・ラクリメ教会(涙の聖母教会)だと教えてくれました。


中に入ってみたり、、、


僕が、「しっかり調べんてんなぁ~」「そのわりに、全部閉まってるトコばっかり行ってるやん!」と言うと、
ガイドブックには、夏と冬で、営業時間に違いがあるとは書かれてないらしく、
逆に僕も聞かれたので、「俺は何も調べずに来た!」と言うと、
彼の説明量は一気に増えて、僕のガイド役になってくれました(笑。
彼はオックスフォード出身の秀才で、今でもメル友です♪

今にもフロアが抜けそうなチンクェチェント!
ミラノやフィレンツェでヴィンテージは見ても、こんな錆々は見なくなりました。


オルティージャ島に渡る橋の近くまできて、後ろを振り返ると、、あの巨大な教会が!
世界遺産の町に、この造形は似合わないように思うのですが、
教会が建てられたのは、世界遺産登録(2005年)前の、1990年だとか。


いよいよオルティージャ島です!
といっても、何があるのかさっぱり知りません(笑。


オルティージャ島は、シラクーサの旧市街。
とりあえず、てくてく歩きますが、スティーヴとの会話に気が散って?
あまり景色が目に入ってきません(涙。 でも、名ガイドになった彼から知識は頭に入ってきます(笑。


何となく、僕の好きな雰囲気が漂っています。


こんな雰囲気も何気な~く好きだし、


こんな雰囲気も好きです。
こんな石畳の路地に、パンダが似合います。
今のパンダより、ジウジアーロ率いるイタルDesigneデザインのパンダ。
シートの生地をミッソーニがデザインしていた事もあります。


apeが絵になりますね~


アルキメデス広場までやってきました。
これもスティーヴの受け売り(笑。 中央にあるのはアルテミスの噴水。
アルキメデスにアルテミス? ん?アルテミスってギリシャ神話に出てくる女神さまですよね?
何の関係? スティーヴが言うには、アルキメデスはシラクーサ生まれ。 きっと、何か意味があるんでしょうね。


ドゥオモ。 ミラノのドゥウォモみたいな威厳は感じなかったけど、
バロック様式の重厚な彫刻は豪華なのに、明るい感じがして、建築物としては僕は好きです。
BC5世紀に建てられたギリシャ神殿を、AC7世紀にキリスト教会に改築し、
内部にはアテネ神殿の円柱が残っているそうです。
この広場には、ドゥウォモの他にも多くのバロック様式の建築が建ち並んでいます。
スティーヴとは、ここでお別れ。近くのホテルに泊まってるそうです。


ここにもapeが!
大阪でも、たまに1台見かけたんですけど、最近、見なくなりました~


シラクーサ旧市街のあちこちからイオニア海が見えます。
夏なら、もっと綺麗なんだろうな~と、荒れたイオニア海に少しがっかり(涙。


道に迷いながら(最初から知らないんだから、迷うも何もないですね笑)、隈なく歩き回ります。


何だか不思議な光景が!
アレトゥーザの泉と書かれています。
このモコモコした植物は、何と何とパピルスだそうです!
ガイドブックを持ってないしスティーヴもいないので、その時は良く分からなかったけど、
帰ってから調べてみると!!
海沿いにあるのに真水が湧く不思議な泉で、パピルスが自生しているのは、こことエジプトだけとか。


島内(旧市街)ほとんど歩きました! 海沿いの道が町全体を囲んでいます。


陽が落ちてきました。


世界に誇れる日本の名車、ジムニーです!


どんどん陽が暮れていきますが、旧市街に人は歩いていません。


少し心細くなってきた頃に、こういう光景を見ると、人の気配を感じてホッとします。


どんどん暗く、、というか、空がどんどん綺麗になります!
ここにもapeが! ape好きなんです(笑。


どんどん空が碧くなります!


そろそろバスの時間なので、ターミナルに向かいます。
帰りはバスで、違う景色を見て帰ります!って、、暗くて景色は見えないですね。。
*ダイビング関連のステッカーが貼られたディフェンダー。 映画グランブルーロケ地タオルミーナからすぐですもんね


長々とお付き合い頂き、ありがとうございます。
これからカターニャまで戻って、そのままナポリ行きの夜行列車に乗ります。
急にフラッと来た町でしたが、もう一度、泊まりで来たい、こじんまりとした、素敵なところでした。
今回のシチリア、日本人には1度も会いませんでした。そりゃ、太陽と海の島シチリアに、冬になんて来ませんよね~



もう随分と前の事になりますが、僕は2008年2月、
ロンドンから北へ200キロほど北部の町ファースリー(リーズ近郊)に本社を構える
エドウィンウッドハウス(EdwinWoodhouse)を訪れる機会を頂きました。
Eウッドハウスは1857年にハダスフィールドで創業し、僕が訪問する前年に創業150周年を迎えています。
ロンドンからインターシティーで、駅まで営業企画部長のジョナサン氏が迎えにきて下さいました。


レセプションルームには記録的な写真や資料が置かれています。
レセプションルームと云うより、さながらアーカイブ(保存資料)ルームですね。


これから発表される生地サンプルです。


1910年代、バーバリーに供給された生地のアーカイヴです。


1897年のアーカイヴです。


他にもアーカイヴがシーズンごと(基本シーズン毎に年2冊)にまとめられています。


以前に訪問したホーランドシェリーと同様、
Eウッドハウスでも、自社でバンチサンプルを作成されていました。


サンプルにラベルを貼る地道な作業ですが、こうして、
バンチ(生地見本帳)も、多くの人の手で完成され、世界に向けて送り届けられます。


自社で織った生地をクオリティー別にストックし、
世界各国からの注文に応じてカットし、即日送り出されます。
ミル(生地を織る)とマーチャント(仕入れて切り売りする)に分かれますが、
Eウッドハウスは、両方の機能を有する稀な存在だと思います。少なくとも僕はほとんど知りません。


過去にドロップした生地も、こうして少しずつストックされています。


6プライはウッドハウスで織っていました
マッセアトゥーラにも、Eウッドハウスの耳が付いた6プライが少しだけあります。
スポルティーヴォ、、ドーメルで云うスポーテックスの意味合い。


機場に入って行きます!


今まで見せてもらってきた中でも、かなり大きな規模の工場だと思います。
低速織機ではありませんが、ほとんどがレピア織機でした。
バタバタで詳しく聞けませんでした(汗。


経糸(タテ糸)を変えて、、
マス見本(サンプル)を織っています。


エンドレスペーパー(紋紙)で生地の柄が表現されます。オルゴールを想像しませんか!
近代的なエアジェット織機だと、
柄出しなんかも、全てコンピューター化されています。


凄い量のエンドレスペーパー(紋紙)です。
こんな棚が幾つもありました。


原毛です。
以前は製糸部門も擁していたのか、、聞き逃しました。
何に使うのか、、この分量だけ無造作に置かれていたのですが、もしかしてオブジェ?(笑


緯糸(ヨコ糸)を打ち込む時、
持ち上がったタテ糸と、持ち上がらなかったタテ糸の間にヨコ糸が通って筬を打ちます。
*筬(オサ):経糸を整え緯糸を入れた後、目を詰めるために使う道具。
ヨコ糸→筬打ち、この繰り返しで柄が織り上がります。
*この内容は以前に書いていますので、そちらをご覧下さい⇒2010年3月25日


レセプションルームから見た工場の屋根を見ても、その規模が想像できると思います。


貴重な機会を戴いた皆さまに感謝いたします。
本当にありがとうございました。


今朝の朝刊に、シリアのパルミラ遺跡のことが書かれていました。
チュニジアに始まったアラブの春はシリアにも及んで、
国内は混乱の一途をたどり、内戦に発展する勢いで事態は悪化しているようです。
今まで僕が、バックパックを背負って旅した国の中で、シリアは、その人柄に印象が残っています。

以前、イランについて書きましたが、
イスラムの国の人々は旅人に親切で、それまでのアラブのイメージを覆されました。
僕は2000年の冬、真夜中のダマスカス空港に到着し、
その古びた空港の片隅にダンボールを敷いて、一夜を明かしました。
早朝、タクシーに乗り込んで、200kmほど離れたパルミラ(遺跡)へと向かいました。
シルクロードの時代に、キャラバンサライの都市として繁栄したパルミラは、
シリア砂漠の中央に位置し、、世界遺産になっています。

その町のホテルや土産物屋が、今は全て閉められているそうです。
民衆の暴徒化で、遺産が盗掘されないようにとのこと。
遺跡のあらゆる展示場、展示品も封鎖されているそうです。
他にもアレッポを初めとする地中海沿岸の遺跡でも、同様の事が起きているとか。
それらの地は、当然、観光客どころか、誰一人として人影はないようです。
世界遺産を見たことより、人柄の思い出ばかりが残る国、シリア。
どこに行っても親切にしてもらった、あの彼らの国で、
そんな事が起きていると想像できません。

その歴史的背景から、頭では理解できるのですが、
実際に彼らと触れ合った僕としては、感情がついてこないんです。
彼らの将来はどうなるのか、、観光で経済が成り立っているこれらの町々。
そこに住む彼らが、彼らの観光資源である遺跡や文化財を破壊されてしまうと、
将来、治安が回復・安定しても、その後の生活基盤がなくなります。
それよりも、先ずはこれ以上、犠牲者が出ないことを祈るばかりですが、、
このブログを読まれた皆さんに、
報道されていないシリアについて、少しでも知ってもらえればとの思いです。

10日という短い期間でしたが、
彼らの国を、彼らの優しさやもてなしに包まれながら気ままに旅をさせてもらった思い出は、
目に見えた世界遺産より、彼らの気持ちそのものとして、僕の心に刻まれています。
今、特に治安の乱れが報道されている『ハマ』の町。
ここで食べた(おごってもらった!)ショワルマスーリー(サンドイッチ)は最高でした!
地中海側の町や、ヨルダン(アンマン)にも行ったので、他の写真も、またいつかアップしますね!!




2010年1月、出張中の週末はシチリア島に行きました

パレルモから、バスでカターニャまで移動。
朝、起きると、昨夜降り続いた雨は、嘘のように止んでいました。
バスは、イタリア国鉄のパレルモ駅の裏にあるターミナルから1時間に1本出ています。


途中、バスは、シチリア島のほぼ中央に位置するエンナの町を通過。
エンナは、「シチリアのへそ」と呼ばれる、標高約1000mの山の上にあります。
エンナを眺めながら、3時間弱でカターニャに到着です。


町の中に、普通に遺跡があります。
ほぼ歩いて回れるところに見所は集中しています。


大好きな、アランチーニ!
オレンジ(アランチャ)に似ていることから、
小さなオンレンジ「アランチーニ」と名付けられたそうです。
リゾットがふんだんに詰め込まれたライスコロッケで、ここのものは、
少し高めの設定だけど、さすが元祖と云うだけあって、味は今までの物と違って
洗練されています。つまみ食いのつもりが、歩きながら、ビール片手に食べたら満腹になりました。



国鉄カターニャ駅前の外れに出ていたレモン屋さん。
なんだか、ほのぼのするのは、僕だけ?


BARのおじさん。


シチリア第2の都市と云っても、人口は30万人。
30万人とは思えない、人々の活気ある生活が溢れていました。
この町を歩いて感じるのは、「このカオス(喧騒)は何!?」って云う、まさにアジア!
人波が凄過ぎ、やっと写真が撮れたのは、マーケットが終わってからです。カターニャ満喫しました!!





milanoのsartino氏が、マテーラの画像を送ってきてくれました。
僕が「何度も行く機会を逃している」と言ったから、、

行くまで極力見ないようにしていたけど、、

ついに、、見てしまった。(汗)
ありがとう。(苦笑)